【 襲青月 (カサネセイゲツ) 】












オレが、彼と出会ったのは数年前だったか…



そう、源氏の御曹司殿に初めて御対面した時だ。





凛とした眼差し。



気品ある振る舞い。



後光さえ差してきそうな若者の姿には、ひどく感銘を受けた。






…その傍らに、ひっそりと寄り添うようにして



彼は居たのだ。







御曹司殿とは、どこか違う…




そう、きっと御曹司殿が太陽ならば……


彼は月のような存在だ。






唐突にそう…感じた。









「…お初にお目にかかります、御曹司殿。
私は…鎌倉権五郎景政が末、梶原景清が一子、
侍所所司を任じられております…梶原平三景時にございます。」



「……ああ。」





「今後、何かとお目にかかることも多いかと思われますので……まずは、御挨拶まで。」


「‥わざわざ、ご苦労だった。兄上のために、今後ともよろしく頼む!」


「…御意にございます。」




…思った通りだ。 

真っ直ぐで揺るぎない、心地の良い眼差し。



まだ少し不器用なところはあるが、それだけで、彼の素直さや人の良さが伺えた。






「……ええと…そちらの方は…?」


「……ん?ああ…こっちは、俺の友人で…」



オレの問いに応え、御曹司、九郎義経様がそう言いかけた時だった。





「武蔵坊…弁慶と申します。 景時殿、どうかお見知りおきを。」




ぶっきらぼうな目の前の彼とは違い、

本当に穏やかで人の良さそうな笑みを浮かべて、彼は言ったのだ。







けれど…その微笑みに、オレはどこか違和感を覚えていた。




九郎様とは違う……



ただ、その時はそう思ったが、会う度にそれは確信へと変わっていった…





















「景時、久しぶりの鎌倉はどうでしたか?」



「……あっ、弁慶!」




突然、後ろからの声に思考を奪われて、オレはその人物へと視線を向ける。





「…どうも何もさ〜?いつもと同じだよ…。もうオレホント、あーいう堅苦しい席って苦手でさ〜…」


「……おや、それは大変でしたね?」




わざと大袈裟に苦笑を零してそう言うと、彼はいつも通りに微笑み、応えた。





……心が読めない。




何を考えているのかが、まったくわからない。




武蔵坊弁慶という男は、そんな人物だ。





初対面の際に覚えた、言い知れぬ違和感は…

この、まるで作られたかのように美しい、彼の微笑みにあったのか。



互いに打ち解けた今では、確かにそう感じる。






「…けれど、本当に景時は大変ですね…。軍奉行になってからは、
さらに京と鎌倉を行き来することも多くなって…休む暇さえあまりないのですから。」


「……うん、そうそう!
頼朝様もホントに人使いが荒いっていうかさ〜…。
休みもないなんて、正直困っちゃうよね〜?」





変わらぬ笑顔を浮かべているのに…

言葉の中には刺がある。





そう感じるのは、己の罪悪感のせいだけではないのだろう。







「でも、それは仕方がないですよ。
君は鎌倉殿の…1番の腹心なのですから。」




「……そっ、そんなことないよ〜!オレなんか、いつもいつも失敗ばかりだし、
今に見限られるんじゃないかって…ハラハラしてるぐらいなんだからさ〜…」







………ダメだ。




いちいち動揺するな。







こんなの、ただの世間話じゃないか。









「……そうですか?僕の目から見て、君はとても
主君に忠実で…本当はとても有能な人物に思えますが?」







………そう、




この言い回しが、気に食わないのだ。







まるで…既に真実を知っていて、わざとそれには触れないように、


ふわり、ふわり、と躱しているような。








「…っ、そっ、そうかなぁ〜?もう〜弁慶!
そんなに褒めたって、何も出ないんだからね〜?」




「…おや?それは…残念ですね。」





「………。」











……本当に…






…気に食わない。













「じゃ、弁慶…オレはちょっと部屋に戻って休むから…後は任せちゃって大丈夫かな‥?」



「ええ、疲れているのにすみません‥。ゆっくりして下さいね?」




「…ん、ありがと‥」






ヒラヒラと手を振り、いつも通りに笑って、オレは自室へと歩みを進める。



彼は始終いつもの…美しい笑みを浮かべて、




ただ、オレの背を見送っていた…





















「………景時。」



それは、大きな戦があった後のことだった。



いつものように真夜中、一人抜け出し、

陣の裏手の川で身を清めていると、不意に後ろから彼に声をかけられた。





一つ、二つ、小さく息をついて心を落ち着かせてから…

常の苦笑を作りつつ、オレは振り返る。




「……弁慶? 一体、こんな時間にどうしたのさ…もう真夜中だよ〜?」




…大丈夫。



自分でも驚く程に、落ち着いた声で、そう返すことが出来た。






「…いえ、陣を抜け出す君の姿が見えたので、追ってきただけですよ。
君こそ、こんな時間に…頭からずぶ濡れになってまで、何をしているんです?」




そう問い返す彼の表情は



“いつもの微笑み”










……オレは、本当にわからないんだ。





君の心が…


どこにあるのか、が。










「いや〜…なんだか目が冴えちゃって…。
それならいっそ…洗濯もかねて少し、水浴びでもしようかな〜なんて思ってさ〜?」



「……なるほど。」








本当に、わからないんだ。







君のことが。










「ほっ、ほら…。…オレってさ??臆病だから……
やっぱり血の染みとかそういうの付いちゃったりしてるとなんか、怖くて…
だから…こうしてたまに一人で陣を抜け出し……」



「…景時」



「……っ‥!!?」







…わからないんだ。






どうして君の前では、こんなにも、動揺してしまうのかが。










「ちょっと…弁慶…なっ、何っ?? 痛い痛い…!離し…ッ」





「…黙って下さい。」




「………ッ…」



怪我をした方の手首をさらに強く掴まれて、思わず苦痛の声が漏れる。





射るような視線は………今はただ、真っ直ぐにオレを見据えていて。








「…痛い………痛いよ……弁慶…」



「……ごめんなさい。 そんなに痛かったです…、……!?」




顔を上げて、真っ直ぐに君を見つめたら‥



目の前の君は、そんなオレを見て、目を丸くしていた。






「うん…。……凄…く…」






…………痛いんだ。






君がオレに……触れるたびに。











「……君が泣くほどに、痛くしてしまったなら…謝ります…」





「……いた……い……」





「……ごめんなさい…」







穏やかなその声で謝られると、それが合図だとでもいうように、



頬から…次々に涙が零れ落ちていく。






「……っ、…ご、ごめ…っ、…ごめ、なさい……」




「……何故、君が謝るんですか…?」







「ごめんなさい……弁けッ、ホント…に、ごめ……っ…」






「……黙って下さいと、言ったでしょう?」




掴まれていた手首をぐい、と引かれて、

奪うように突然、深く口付けられる。



そのまま口内を激しくなぶられると、熱い吐息が二人を繋いだ。




「……っ」




舌を絡め、根元から先端までを丹念に刺激してくる巧みな口付けに翻弄され、思わず甘く喉が鳴る。




「…っ、んんっ!」





慌てて胸を押し返そうとするが、彼は腕の力を緩めようとはしない。



それでも、必死に抗ってようやく唇を離した。







「……っ、‥弁慶!! いきなり何を…っ」




「……来て下さい。」





嵐のような口付けの後、彼はその唇でそっと己の涙を拭って。



半ば強引に、オレの手を引く。






「ちょっと…! 弁け…」










「君の涙を見ていたら、あまりにも珍しく美しいもので…。
…不覚にも、少し欲情してしまいました。」



「……な‥っ!!!」




振り向き、艶やかな笑みを向けられて、頬に熱が集まっていくのがわかる。





「なに、言って…」




「…制止は聞きません。」






放心状態のオレを半ば引きずるようにしながら、そう言って、

彼はそのまま、近くの木の根元に無理矢理オレを座り込ませた。









「………弁慶ッ!」



「……しっ…」




「……っ!」




短くそれだけ言われて、思わず言葉に詰まる。



未だ放心したまま…彼の綺麗な指で、我が身に纏うものが

少しずつ脱がされていくのを、オレはただじっと見つめることしか出来ずにいた。








「……僕は、知りたいんです。 君のことを、もっと…深くまで」




「……弁…っ…」





不意にそう告げられ、




黄金色の真っ直ぐな視線に射抜かれて。





そっと……優しく触れられて。





わかってしまった。






彼の心が……今どこにあるのか、が。






どうして彼のことを気に食わないと感じたのか、が。









「……君の心がどこにあるのか…教えて下さい。
僕は…君のことを、もっと知りたい。」



「……弁…慶…」








気付いてしまった。




彼の瞳の奥にある




深い哀しみの光に。








「弁慶…ごめん…」



「…君が何故、僕に謝っているのかはわかりませんが…。
僕と…君の心の在り処がもしも同じなのだとしたら…
僕はもうそれだけでいいんですよ。」



「うん……そうだね。 ………ありがとう。」






オレ達の守りたいもの。




心の在り処は、きっと同じで……




それを守るためにあがく姿も…きっと同じだった。



ただ…それだけのことだったのだ。






オレはただ…自分自身のことを……










「…僕は、君が好きです。」





今、真っ直ぐオレを見据えてそう言える君が、ひどく眩しく思えた。





そして、同時に…



彼の口からその言葉が紡がれたその時、




胸へと一筋の温かい光が差した。








「……いつから…気付いてたの?」


「…何が、ですか?」




「……相変わらず、素直じゃないね…弁慶。」


「…お互い様だと、思いますが?」





そんなやりとりをして、二人で笑い合う。






「……ねぇ、弁慶。」



「なんですか…?」








「オレは君のことが……好きかもしれない…」











そう……もう、わかりあえたから。




きっと、オレも……彼のように。









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